今度のクリスマスイブが来たら私は、母が生涯を閉じた年齢と同じになる。
亡くなるには少し早い歳ではあったけれど、母はとてつもなく密度の濃い人生を送った。
一方の私はといえば、若かった黄金の時間を湯水のように無駄遣いし、慌てて巻き返しを図っている真っ最中。いつも自分にダメ出しばかりして、基本やや沈んだ気持ちで生きている。こんなマヌケで未だ未熟な人間を、神様はまだ呼んでくれない。
母は、私と全然違ってポジティブで天然で明るかった。台所のコンロの前で菜箸をふりふり美空ひばりなんかを歌って踊って、美味しい料理を、父に言わせれば「馬が食うほど」作った。太っちょでブサイクだった子どもの私が、鏡を見るたびガックリ肩を落とし、「どうしてもっとかわいく産んでくれなかったの?」と母親に八つ当たりをすると、キョトンとした顔をして、「えっ、すっごいかわいいよー、なんで?」と言うのだった。
母にとっては娘が生きがいで、プライドで、それは小さな子どもでも、はっきりと感じるほど強いものだった。そんなプライドとともに母は楽しそうに生きていた。どんな時でも娘の味方になってくれて、私が大好きな友達のことは私以上に愛してくれた。一日に一回は、「あの子たちをずっと大切にしなさいね、宝ものだからね」と言った。その時は、そんな当たり前のことを何で毎日のように言うのかと思ったけれど、それが本当にこの人生の宝となった今、母は偉大な予言者だったと思う。
当然のことながら母は、私のいかなる決断にも賛成をしてくれた。音楽をやりたいからと、あっさり会社を辞めたときも、むしろ面白がってくれていた。まだ作曲を始めたばかりの頃、完成したオケに必死に歌入れしたテープを聴かせたときも、自由が丘の(今はなき)アンナミラーズのテーブル越しで、イヤホンをつけたまま「うん、ママ、この歌、好き!」と大声で言った。
「この歌、好き!」
この時の母の輝いた表情は昨日のことのように思い出せる。
120%自分を受け入れてくれる人がいる幸福。
今でも新しい曲を作るたび、この歌はどう?と心で、あの声を待ってしまう。
最近、しみじみ感じることは、母が予言した私の宝物たちが、まるで母のように、私の人生に寄り添ってくれているということだ。
私が自分に失望して落ち込んでいるときには、私にも何かできることがあって、誰かを元気にすることもできて、何かしらの魅力だってあるんだということを伝えてくれる。私の健康を気遣い、私の歌たちを何度も何度も大切に聴いてくれて、ライブ会場では割れんばかりの拍手をくれて、そして(ここが特に「ママっぽい」と嬉しくて笑ってしまったところなのだが)何かしら私のためになるはずと信じて、お店の厨房が半ばパニックになるほど注文をしてくれたりもする。
私の母のことをとても慕ってくれていた親友たちは、その母の思いを継いでくれている気がしてならない。母は、私が人生を慈しみ、楽しみ、朗らかに生きることを望んでいたに違いないし、彼女たちが心からそれを願ってくれていることを毎日のように感じる。未熟な私は、なかなかその思いに応えることが出来ずに、毎日自分を持て余して、無駄に消耗していることは間違いない。もっと強く、たくましく、そして take it easy の精神を持たねば。
母は亡くなるまで私にとって「ママ」で、まだ若かった私は、ただ彼女を頼り、甘えていただけだった。今ならもっと人間同士、女同士という形で付き合えて、色々語り合えたと思う。明るく見えた母でも、私が気づかなかった悩みや疲れを抱えていたに違いない。いつも布団に入るとき、「はあ〜 ママは、この時がほんと幸せ」と笑っていた。そしてそれは、いつしか私の口癖にもなった。
眠るときは、頭の中に渦巻いていた様々な濁りや、背中にのしかかっていた荷物から解放されて、その眠りの世界に逃げ込むことができる。ピュアで、幸せを求めることしか知らない小さな女の子に還っていける。
母は、いつでも少女のようだった。
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