仲よしのあーちゃんは、いつも新幹線に乗ってやってくる。生まれて間もない頃からママとお兄ちゃんと東京へ来て、うちで何日かを過ごしていたのだが、今年は初めて、一人でやってきた。あーちゃんももう中学一年生になった。ついこないだまで、とってもちっちゃくて、たくさんご飯を食べると、カエルみたいにぽっこりとおなかが膨らんで、大人たちが面白がってすりすり触ると、にゃははと笑っていたあーちゃん。
あーちゃんは子供なのだけど、うんと小さなころから、なぜか対等に話のできる子だった。決して大人びているわけでもないのに、大人を大人として警戒しないし、常に心はオープンで、すでに自分のスタイルで生きている感じ。ママより年上の私に対しても、まるで友だちのように接してくれた。たとえば何かを一緒に作っていて、私が凡ミスをして軽くヘコんで「あー、私ってやっぱダメだなあ」なんて口走ると「大丈夫だよ、まみちゃんは」と真顔で返してくれる。すると不思議と「そうか、大丈夫なのか、私」なんて、妙に納得してしまう。
ここ数年しばらく会えずにいたら、あーちゃんはすらりと背が伸びて、おなかも引っ込んでいる。中学生ともなると、スンとして話しづらくなってしまったり、ダイエットしていたり、なんてこともあるかと思いきや、あーちゃんは寸分の変わりもなく、ご飯をモリモリ食べ、全然久しぶりじゃない感じで普通にしゃべった。私がする、どうでもいい話をふんふんと熱心に聞き、時には眉をつり上げて驚いたり、豪快に笑ったり。
私が出かけなくてはならないある日、あーちゃんは一人で街へ繰り出すという。バス停まで一緒に歩く道で「暑いから無理をしないで、途中で何か飲んだり食べたりするんだよ」と、私がお財布から少しだけ千円札を出すと、目を丸くして心底驚いた顔をしたあと、子供らしい笑顔になって「ありがとう」と自分のお財布に丁寧にしまった。
お昼過ぎくらいに、ふと、あーちゃんからのLINEに気づくと、「今、前行ったパンケーキ屋さんに着いたんだけど入っていいのかな? いや!勇気しぼって入ってきます!」とある。そこは人気のパンケーキ専門店で、あーちゃんが小さい頃に行って喜んでいた店だ。まもなく、ホイップクリームとチョコレートソース、大量のバナナがのったものすごいパンケーキの写真が送られてくる。「じゃーん!!おいしかった〜」とのメッセージつき。
この子とは一生の友でいられることをなぜかそこで確信する。
なんとあーちゃんは、これまた昔食べたトトロの形のシュークリームのお土産まで買って帰ってきた。まだ幼稚園くらいの時、お皿にのったトトロを見て、ほお〜っという嬉しいような困ったような顔をして、しばらく食べられずにいたっけ。あーちゃんなりに幼少期の思い出めぐりをしているんだなあと思い、ちょっとジンとする。
生きていると、嬉しいこと楽しいこと、どうにもならない辛いこと、寂しいこと、色々あって、でも大人になると、感情自体を動かす筋力のようなものが鈍ってくる。それはたぶん、感情を動かさないことが、時に生き延びるすべであることを学ぶからだ。私は、心が安定して楽しい気持ちや喜びの気持ちに満たされている時、すぐに不安の雲が立ち込めてくる。またいつか訪れる雨の日が怖いのだ。
でも、あーちゃんといると、そんなことを全て忘れてしまう。あーちゃんが笑えば、私も一緒に楽しい気持ちなって、あははと笑う。あーちゃんが、ぱくぱくとご飯を美味しそうにたくさん食べていると、私も一緒になって盛大に食べる。学校での心配ごとなんかも、顔を少ししかめながら話してくれるけど、厄介なことも心をかき乱されることも、あーちゃんは人生のいち風景としてごく自然に受け入れている。私も同じように生きればいいだけだと思える。
ふだん、ネガティブファクターの襲来におびえて伏し目がちに生き、この世にちりばめられた小さな美しい風景まで見過ごしている私は、とんでもないバカだ。石につまずいたり穴に落っこちたり、目の前に突然壁がそびえたったりしたら、それはその時考えればいい。生きるってことを自分で複雑にするな。心をオープンにして、この人生の風景を楽しむのだ。
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