年に数回来てくれる庭師のタカハシさんは、いつも朝7時50分には小型トラックを家の前につけ、8時ぴったりに作業を始める。今日は、あいにくの雨。タカハシさんが来る日に雨が降ったのは、この15年ほどの間で初めてだ。雨天でも、このお仕事は決行されるものなのか?家の人間が延期を提案してあげるべきなのか?
まもなくタカハシさんのハサミの小気味よい音が窓の外で聞こえてきた。サク、サク、サク、その音を聞けば、たちまちタカハシさんの深いしわの刻まれた顔と手際のいいお仕事のイメージが、心にパーっと広がる。私は、ついぞ何かの職人にはなれなかったな、という思いがふと湧いたが「いやいやキミはまだ道の途中、歩きなさい」と、声がする。
雨音がどんどん大きくなってきて、私は眉毛を描きながら、タカハシさんのことが気になって落ち着かない。でも、私のようなシロウトのガキ(タカハシさんからしたら)が彼の仕事の流儀に口を出してよいものか、、。
やがて、とうとう耐えきれなくなり、庭のガラス戸を開けて叫んだ。「タカハシさん!どうかご無理のないように!」タカハシさんは、すでに柿の木の上にのぼっていて、黒い雨具を着て大きなハサミを動かしている。私を振り返り「はい?」と言うので、今度はもっと大声で叫ぶ。「どうかご無理のないように!」
「はい、ありがとうございます」タカハシさんはそう言って笑って、またハサミを動かし始める。0.1ミリの力も持たなかった声がけだったが、私は自分なりに納得して、また家の中をウロウロする。
タカハシさんはいつも、お茶をすすめても遠慮され、お昼になるとスッと消えて、どこかで短い休憩を取られて戻り、夕方になる前には刈り取った草木をすっきりトラックいっぱいに積んで人知れず帰ってゆく。あとには、きれいに形を整えられた木々たちと、ひっそり静まり返った庭があるだけだ。
最近よく思うのは、人生ってのは意外と短い、ということだ。何かに興味を持ったり、好きだと思ったり、だからその道を極めたいと思っても案外と時間が足りない。
食べて寝るだけのお金も稼がなくてはいけないし、歩く道には、雨も降る、石ころも転がる、大きな穴だってある。
若いうちから、もっともっと”巻き”で努力しておかなきゃいけなかった。なんてことに、人生後半になって気づいたって、もう遅い。遅いのだ。
私はもう”職人"にはなれないだろう。でも残された時間で、そこへ続く、とてつもない長い道の1000分の1でもいいから進むのだ。
そう思って生きることが、私の残り時間の使い方。
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