子供のころ、夏休みには決まって家族で軽井沢の家へ行って過ごした。うんと小さなころは、出発の前日の夜、布団で寝て朝目覚めると、私たち姉妹は車の中にいて、窓の外は碓氷峠の釜めし屋あたりだったり、ある時はもう旧軽の商店街の中だったり。今のように道路が便利ではなかったので、軽井沢へ行くのもなかなかのロングドライブだったのだろう。寝ている私たち姉妹を抱き抱え、暗いうちに車に乗せて、軽井沢へ出発していた両親の姿を今想像すると、そこには小さな子供を二人抱えて暮らす若い夫婦の暮らしがリアルに感じられ、あの二人もそんな人生の時を経て少しずつ年をとり、やがてその幕を閉じたのだなあと、ぼんやり思う。私には見えていなかったたくさんの思い。
その軽井沢の家を私たち姉妹はベッソウと呼んでいたけれど、一介のサラリーマンである父がベッソウを持てるわけもなく、それは父の会社の会長の持ち物なのだった。父はまだ平社員であったにもかかわらず、なぜかその会長にとてもかわいがっていただいていて、私たち一家は、会長一族と親戚のようなお付き合いをしていた。お正月や会長のお誕生日などには目黒の豪邸にお呼ばれをして、お座敷天ぷらやお寿司をご馳走になったり、有名私立の小学校に通う同世代のお孫さんたちと、広いおうちの中を駆け回って遊んだりした。そんなわけで私たち一家はまるで自分の家のように、その軽井沢のベッソウを使わせていただいていたのだ。
ベッソウは2棟あったので、会長の娘さん一家と何日かを一緒に過ごすこともよくあった。彼女の2人の息子は私たち姉妹と歳もほとんど同じで、朝から晩までよく一緒に遊んだ。朝起きると、バルコニーのテーブルに山盛りの炒めたソーセージやミックスベジタブル、ロールパンが並んで、それをモリモリ食べてから、まだ寝癖をつけたまま自転車に乗り、林の急勾配のでこぼこ道をものすごいスピードで下りてゆく。旧軽の商店街にあった駄菓子屋さんで大きな飴玉を買ってほおばりながら自転車でぐるぐるして、何時間も遊んだ。大人になったら、何がそんなに楽しくて、そんなに長い時間遊んでいられたのかが、もう思い出せない。
久々のお休みに軽井沢へ来た。夕方に開演するコンサートを観に来たのだが、開演まではまだ4時間ほどある。軽井沢という場所を思うとき、あの森の中の家とソーセージと自転車と飴玉がセットになってやってきて、ちょっと切ないようなノスタルジーに襲われる。でも今日なら、そんな切なさにも向き合えるような気になり、旧軽巡りでもしようかと思い立つ。とりあえず旧軽商店街のジャムの沢屋をグーグルマップに出してみると、なんと「徒歩59分」。日差しは期待に反して、東京とそう変わらず、日傘なしではいられないほど。こりゃとりあえずお茶でも飲んで考えようと思い、作戦を練るため駅近のアウトレットモールへ逃げ込む。
アウトレットというのは、ブランドの店ばかりが立ち並び、例えば5万円のTシャツが3万5000円で売ってるとか、そんな印象を持っていたのだが、いやいや、ふだん服を買っているようないくつかのショップやよく行く雑貨屋もちゃんと入っている。しかも、30%引きとか半額とか!ここで私のテンションは爆上がり。ついさっきまでのノスタルジーに挑む決心はあっさり吹っ飛び、夕方までここで過ごすことを決意。うん、暑いしね。
久しぶりのショッピングは、それはそれは楽しくて、おっ、これ買う!あれも買うたるでーと想像することがなんたって楽しい。でも実際には、いつ着るの?とか、こんなの使うー?とかツッコミを入れた結果、散財を逃れることができる、まあ大体は。とにかくウキウキワクワクしながら広大なショッピンモールを歩き回っているうち、あっという間に数時間が経ってしまった。コンサートに遅刻してはいけないので、カフェに入ってソフトクリームを食べながら、マップの来店必須ショップにマルをつけていく。
カフェでは壁一面がガラスになっている窓際に陣取ったので、外を歩く人たちが見える。こんなふうにのんびり、人間ウォッチングをするのもすごく久しぶり。そう思うとショッピング以上に幸福感で心が満たされる。ものづくりをする私にとって、とても大切な時間なのだ。ふと目の前を同世代くらいのカップルが歩いていく。男性は髪に白髪も混じって落ち着いた感じのカップルだけど、二人はやわらかに手をつないでいて、二人とも心からふんわり湧き出た笑みで歩いている。特に男性のほうはとても嬉しそうで、つないでいるその手に彼女を尊く思う気持ちがあふれていた。とてもシンプルに、人が人を大切にすることって素敵だなあと思う。しばらくするとお母さんと歩く小さな男の子。4歳くらい。私は子供にニッと笑いかけるのが大好き。ソフトクリームを食べてる私は、もれなくその子の羨望の的となり、ここぞとばかりにニッとラブラブ光線を返す。彼はちょっとハッとしてから、ふにゃっと笑い、2~3歩歩いてはまた振り返り、そのたびに私と笑顔で視線を交わす。やがて建物の向こうに隠れてしまい、もう振り返ってくれても見えないよう、と思っていたら、数歩あと戻りをして建物の陰からひょこっと顔を出し、ニコッと笑ってくれた。
かわいい。心から「かわいい」と感じることは、この心を心底癒やしてくれる。ずいぶんと大人になってから、こんな込み上げるような感情は芽生えた。長い年月で傷まざるをえない心の処方箋を神様が用意してくれたみたいだ。
たった1日だけの休日。たった1日だけの軽井沢。
高い空の向こうの山は、ずっとあったんだ。
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