誕生日の朝、顔を丁寧に洗う。
私が生まれたのは早朝だったから、今ごろ両親は喜んでいてくれただろうか?1歳の幼い男の子を亡くしたばかりの若い父と母。
誕生日にいつも悲しく孤独な気持ちになるのは、歳をとるからではなくて、こんなに時間を費やしてもなお、自分は何事も成し遂げてはおらず、精神はいまだ脆弱で、与えられている多くの恵みに対して、ちゃんと報いることができていないからだ。こんな現実をつくり上げたのは他でもない自分で、誰に助けを求めることもできず修復のしようもない。誕生日というのは、その現実を突きつけられて、荒野にぽろんと捨てられたような気分になるのだ。
でも、こうして文章にしてみると、なんとも自分は間抜けで、ただの間抜けがここにいるだけで、どうってことはないと思えてくる。
リビングに親友6人組の写真が飾ってあって、それはまだ30歳になるかならないかくらいの頃で、みんな仕事帰りのようなきちんとした格好をして爽やかな笑顔で写っている。その笑顔を見ながら、みんなまだ概ね、人生の荒波に飲み込まれる前だったなと思う。ここから先、どんなことが待っているのか知るよしもなかったけれど、みんな歯を食いしばったり、死ぬほど泣いたり、知らん顔したりして切り抜けてきた。それで、誰も死なずに生きている。最近は、みんなが、誰のお葬式にも行きたくないと言って、先に逝った者勝ちバトルが繰り広げられたりしている。同じ高校の制服を着ていた時から今まで、あっという間だった。人生って意外と短いもんなんだなと最近強く感じる。ああ、でもこれは、この間抜けな私だけなのかな。のろのろ生きたので人生の解像度があまりに粗くて、そう感じるのだろう。そうして私はこのままエピローグを迎えると思われる。そうと予想はされるが、最後まで悪あがきを続け、無駄に消耗するだけの私も見える。
メリークリスマス。
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